ーーーーメルマガ『 チクタク No,42』  19,JUY,2006ーーーー
白雲木さんの「黒柿考」や今回特集「精工舎座敷時計の系譜」研究に関して詳細な
調査に元ずく労作です。NAWCC131関西支部日本古時計クラブ事務局の神戸「ス
リーゲル」の石井さんのお話によりますと、よくぞここまで調べた物かと感服なさ
ておられました。通常は自分が調べた結果を公表するコレクターや業者は稀でたそ
うで、内容の充実に感銘を深くされたとか。加え、チクタクの活動は時計道に携わ
る後継者への継承も含め大変意義深いものですと、敬意を評されておられました。

特集ー春の時計巡礼「古都奈良」の入洛レポート!
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古都奈良の時計巡礼           < ねじり鉢巻きさん >
先日は楽しい一日を企画下さりありがとうございました。 瀬名ごんさまには大変
お世話になり感謝に耐えません。特に我々には訪れることが先ず無い名所寺院も気
安くお連れ頂き本当にありがとうございました。

 般若寺の重文・文殊菩薩も素晴らしかったです。また庭の鉢植えのアジサイは6
月にはどんな花を楽しませてくれるだろうと想像しておりました。
百毫寺の情緒漂う萩の石段や境内に咲き乱れる椿の花々、歴史漂う境内と石仏が調
和して昔の栄華を駆り立てましたその他、興福寺の阿修羅像を含め国宝・重文の諸仏
諸菩薩諸天像・・・東大寺大仏様等々これら多くの寺院を拝観できたのも瀬名ごんさ
まのお陰です。

ご自宅では、殆どがスリゲルタイプの高級古時計に目を奪われました。また、自作
された黒柿ケースは圧巻で写真に収めて来なかったこと後悔してます。 また、奥様に
は丁重なお丁重なお気配りお礼申し上げます。


                              般若寺

東大寺大仏殿


                               大仏様

                 白毫寺山門にて


瀬名ごんさんを囲んで

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30年ぶりの奈良です。               < 更紗のサラ >

 岡崎公園の桜が散り始めた春の朝,傘を持ってJRに乗った。皆さんと京都駅で集合
し近鉄特急で古都奈良に着いた。贅沢なことに近鉄奈良駅の出口で瀬名ごんさんのリ
ムジンが横づけされていた。総勢9名定員いっぱい?。いよいよ30年ぶりの奈良見
物だ。くねくね道の遠くに金色に輝く屋根の角が光って見えてきた。東大寺だ。境内
にこんなに沢山鹿がいるとは思っていなかった。
 お互いにきょろきょろしながら仁王門をくぐる。これ又でかい仁王さんだ。にらみ
降ろしておられる。本殿前の大庭に入るとしだれ桜が今は盛りとしな垂れて絵になる
景観だった。構図を考えカシャカシャとシャッターをきる。
 大仏さん。恐れ入りました。荘厳そのもので見上げると眼が合って「よう着たなあ」
とおっしゃっておられる。般若寺、五色椿、浮見堂・・・と巡礼し興福寺の阿修羅さ
んと又にらめっこ。やっぱり参りました。
 
 昼食の後 いよいよ瀬名ごんさん宅へ到着、いつものように メンバーは玄関から
なかなか前へ進まない。レストアというか復元というか、技術というか技能というか
見事なできばえで感心することばかり。
写真も趣味の一つとのことで、ハッセルブラッドやPentax 645などプロ仕
様のカメラが棚に整然と置かれていた。アンティークなカメラも好きな私は掛時計と
カメラでロンパリになりそうだった。
そんなこんなで最近手に入れたPentax K2(25年前のフィルムカメラ)で試
写を兼ねましたので、デジカメ写真はありません。
                                                            

 更紗のサラさん   オシドリIさんご一家  木の葉さん   ねじり鉢巻きさん
                白毫寺
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奈良の都の八重桜              < 亞陀 >
 4月15日、京都駅近鉄口に集合した全員を都の桜が優雅に迎えてくれました。中
には修学旅行以来の入洛の方のおられ観光気分です。瀬名ごんさんがワゴン車でお迎え。
名古屋以来の瀬名ごんさん再会に挨拶もそこそ出発。京都とは一味違った奈良の町並み
の細い路地をくぐり抜け先ず目指すは、古刹の般若寺(四季お花の寺、文殊菩薩が圧巻)。
鹿のフンを踏まないようにしながら南大門の潜り東大寺へ。何故か瀬名ごんさんは拝
観料を払わないで大仏殿に入って来られたり、大仏殿の裏道に駐車をしたり、地元奈良?
ではの裏技に感服です。興福寺(藤原氏菩提寺、阿修羅像が有名な国宝館へ)。白毫寺
(古き奈良の面影を今も残す名刹)。

 瀬名ごん邸は主に獨逸の装飾時計がずらりと並び、何れも手入れが行き届き素晴らし
く奇麗でした。一番驚きはマシーンを落札したがそれに有ったケースがなくて困り果て
スリゲル用のケースを作ってしまったそうで、労作は皆さん確と目に焼き付いていまし
た。特に瀬名ごんさんには車をご提供頂いたおかげで、解説付きでスムーズな移動がで
きいつもの巡礼とは違って爽やかな疲れで済みました。お礼申し上げます。


                          撮影スポット 奈良公園浮見堂
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精工舎座敷時計の系譜                < 白雲木さん >

チクタク読者諸兄の皆様今晩は、今回は皆様もよくご存じの精工舎座敷時計シリー
ズについて少し書いて見ようかと思います。何分わたくし若輩者ですので間違いも
あるかと思いますがどうかご容赦を。

皆様おなじみの精工舎座敷時計ですが、そのモダンなデザインと完成度の高さから
今日でも絶大な人気を誇っています、当時としてはかなりの高級品、時を経ても良
いものはその輝きを失うことはありません。これだけ人気があるにもかかわらず、
それを体系的にまとめた文献は皆無と言え、腕時計、懐中時計はしっかりした文献
が書かれているのに比べると意外なことです。現在座敷時計の情報は主に当時のカ
タログや要覧に頼るところが大きく、私もこれらを元に整理してみました。

まずここでの座敷時計は、明治44年〜終戦の昭和20年ごろまでに作成された精工
舎製座敷時計と便宜上したいと思います。特徴は香箱に二週間巻きのゼンマイが入
ったユンハンス式の機械、文字盤は琺瑯、金属製があり、形は長方形のいわゆるス
リゲル型で大きさは大〜小とあります。ビートインジケーターは例外なくすべての
機種が金属製です。殆どの機種に名前が付いておりますが、一部ナンバーのみの機
種(資料不足のため不明の場合もあり)も存在します。箱の裏には意匠登録の焼き
印が押してあります(一部ないものもある)。

明治44年に最初に登場したのが、「パリー」「富士」「ベルリン」「角丸」「筋ガ
ラス」「鷲」の6機種です、これら最初期型の座敷時計には振り子室右下に金属プレ
ートの意匠登録版が付いていましたが後に他機種と同様焼き印になりました、次いで
「ひさご」「ボストン」が投入されたようです。これら初期機種の特徴は文字盤が琺
瑯製、振り子も同じく琺瑯が使用され、数ある座敷時計の中でも品格があり光芒を放
っており、万人を引きつける魅力をもっています。最初期のものは舶来の琺瑯が使用
(Sのトレードマークが入っていない)されていたようですが順次国産の琺瑯に移行
したようです、数字にはローマ数字とアラビア数字の2種類がありました。

これら琺瑯の文字盤が使用された機種はさらに「リオン」「小角丸」「ミラン」「星
ガラス」「ヒナン」「船」「ライオン」「小鷲頭」「池月」が続いて制作され、琺瑯
の中央に金属プレスの装飾が入ったものに「ゼノア」「ベニス」が存在します。
その他ナンバーのみで名称の無い機種がいくつかあり、それらにも琺瑯文字盤が使用
されていましたが現存数が少ないのか、お目にかかることは非常に希です。
「ベニス」「リオン」は振り子室のガラスに曲面ガラスを使用してあり、数ある座敷
時計の中でも異彩を放っています。金属文字盤は主に大正期より投入され、「スエズ」
「ボンベイ」「ペキン」「セーロン」「パナマ」「モスコー」など主に地名を冠する
シリーズに使用されましたが、「小角丸」「筋ガラス」も昭和期から金属文字盤に移
行したようです。

          「スエズ」

これら地名を冠する機種の中には精工舎のトレードマークSが文字盤はおろか機械に
も刻印が入っていないものもあり、素人目には精工舎の時計と判別できないものもあ
ります。また初期タイプと後期タイプでは微妙にマイナーチェンジされている機種も
数多くあります。
たとえば初期型「パリー」の屋根後ろの部分は丁寧に丸く作られていますが、途中か
ら板を張り合わせた三角の省略型に変更されています。
「ボストン」の上宮は初期型には彫刻がされていましたが、後に金属製の飾りに変わ
りケースも若干のマイナーチェンジが見受けられます。
また重厚で有名な「ベルリン」は2種類の形が存在することはあまり知られていない
ことと思います。
「セーロン」の初期型は一枚扉で平ガラスが使用されており上宮には彫刻があります
が、後期型は二枚扉に面取りガラス、上宮には彫刻がありませんし下部のデザインも
若干異なります。


         「セーロン」
「小角丸」「筋ガラス」は当時より人気機種であったためか、製造期間も長く数多く
のバリエーションが存在します。文字盤は琺瑯、金属、金属ペイントと時代ともに変
化し、初期型の振り子は水銀入り振り子を模したデザインのものを使用していました
が、昭和期に入ってからは金属製の装飾入りに変わりました。同様に上宮、ガラスも
幾つかのバリエーションが確認されています。このように様々な変化があるのですが
座敷時計特有の特徴からはずれるようなことはないので、慣れれば資料をみなくても
精工舎の座敷時計と判別できます。

このように座敷時計のシリーズは広く商品展開していましたが、大正12年の関東大震
災で工場が被災し大きく転機を迎えます。震災の影響や時勢からか琺瑯文字盤は大正
12年以降使用されていません。震災前から残った機種は「小角丸」「筋ガラス」「ス
エズ」の3機種です。昭和期に入ると新機種がいくつか導入されました、すべて金属文
字盤が使用されているそれらは「コロンボ」「ライン」「トレノ」「ナポリ」「かす
み」「さつき」「ひかり」「筋柱」「井筒」の9機種で、プラス前述の3機種が販売さ
れました。
さらに昭和10年台になると「やまと」「アスター」「パーラー」「あやめ」「やよひ」
などの機種が追加されますが、それまでの重厚な雰囲気から作風はかなり異なってきま
す。ビートインジケーターも装飾的なものから実用的なシンプルなものに代わり、全体
的に高級感が薄れた感じになってきます。文字盤の文字もそれまでのモダンな字体から
、野暮ったいゴシック調の採用が増えてきます。さらに時代が進むと、資料がないので
詳細は不明ですがいくつかの機種が新たに追加されているようです。
特徴としては、前述のゴシック調の金属文字盤、針は中が抜けたような二重針などが多
く採用、ケースは無垢材ではなく貼り物なども使用され高級感はさらに薄れてきます。
しかしながら機械は基本的に同じものを使っており、他の精工舎製大衆向け柱時計とは
一線を画していました。戦後、座敷時計シリーズが制作されたかは残念ながら当方の資
料からは不明です。

以上ざっと座敷時計30年あまりの歴史を書きましたが、細かな点では未解明な部分も多
く今後さらなる研究を必要とします。現存数が非常に少ない機種も多くすべてを眼にす
るのは至難の業であるかと思います、逆に「パリー」「筋ガラス」「小角丸」などは当
時から相当な人気があったと見えてかなりの数が現存しています。

現在私が保有している資料はまだほんの一部であり、座敷時計の全体像を解明するには
まだまだ資料不足です。これらカタログなどの資料も現在では非常に貴重品であり高値
で取引されています。大変困難かと思いますが、私もこれから資料収集に力を入れてい
くつもりです、チクタク読者の中には私なんぞよりずっと詳しい方も多いことかと思い
ます、もし間違った点等などありましたら是非ご教授ください、私も肩に力を入れて研
究に邁進いたします。

白雲木
 
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 高山の時計MAC                  < ねじり鉢巻 >   

店員さんに写真を撮らせてもらえるよう訪ねたらFさん(チクタク仲間)に電話をかけ
て頂き 私も電話で話を伺うこと出来ました。お話に依れば今月31でこのお店は閉店で
他の地で全く業種の違う商売をされるようです。
良い時に来て頂いたと話され此れも何かのご縁ですねと話しておられました。











高山の帰りに下呂温泉近くの喫茶店「緑の館」の店内写真です。

<後に、額縁入り針のコレクションは訪問者のねじり鉢巻さんに贈呈されとの事です>
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編集後期
次回はいよいよ徹夜の時計談義、国内有数のオルゴールコレクター、
T氏の膨大なコレクション拝見をご報告します。