ーーーーーメルマガ『 チクタク No,38』  5,NOV,2005ーーーー
ヤフー奥ションの趨勢を垣間見てもお判りのように、骨董業界にも本格的な
冬が近づいた話を耳にします。解決策としてebayのようにクロックのカテゴ
リーをアンッティーク/ヴィンテージ/モダン/パーツ&道具などに細分化を
要求したくなって来ます。
精工舎の製品には同じ機種でも時代に因って、形状が異なる事実解明に向けて
進展がありました。まだ情報不足で憶測の域を出ない事柄も多く、皆様の情報
を持ち寄って、空白を埋めればと期待に胸が膨らみます。

必見! 『 真打ち登場の寅さんからの持論が展開されます。 』
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「石橋邸へ亞陀見参!」

横浜の丘陵地に広がる閑静な住宅街にある石橋さんの玄関前には無造作に掛け時計
が数台掛かっています。日差しを浴びながら時計の修理が日常だとか、こわれれて
いる時計が放置されているそんな玄関に亞陀が10月某日見参しました。

邸内のどの部屋の壁一杯には隙間なくご覧の有様で整然と掛かっていて時計と一体化
した生活をされていらっしゃいます。ここまで来たら時計漬けです!

大変実直で真面目な方で近隣の骨董祭りに出店しながら仲間修理や一般の方からの修
理を安価で受けているそうです。何でも女性のお弟子さんがおられるとか。

土地柄、在庫には気になるレアな外国の置き時計が多くありました。











同じ職人として石橋さんから時計への深い造詣と優しいまなこに大変触発されました。

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『 明治時代に於ける精工舎謎? 』           白雲木さん

 先ごろ、掘り出し物と思わしき時計を一台入手しました、動きませんが機械は悪くはなさそうです。
「精工舎 第176号 セーロン」と思われます。というのも機械にSの刻印がない??? 姿は以
前お借りしたカタログのものと瓜二つです。以前うちに輿入れしたスエズの機械とも全く同じような
のですが、スエズの干支がとれず確認できませんでした。
この時期のこのシリーズには、干支にSのマークもないため、ぱっと見は精工舎の時計とは素人見に
は解りません。


 処で、この時期の座敷時計は確かに複雑怪奇です、パリやベルリンなど琺瑯干支の明治44年
ごろの時計は確かに意匠登録の焼印があるようです、初期型は確か例の金属プレート付ですよね。
当時精工舎の時計のコピーが出回り始めていたんでしょうか。それにしてもパリやベルリン、筋
ガラスなどはコレクター一人に一台当たるほど、数が残っているのに、このセーロンやゼノア、パ
ナマにペキン(私が見たことがあるのはこのセーロンだけです)などは今までほとんどお目にかか
ったことはありません。
 当時よっぽど人気がなかったのか、それとも特殊な需要性があったのか?機械、干支にSマーク
がないこともなにか事情があったのではないたと、考えてしまいます。しかしながら、世には精工
舎の時計愛好家が多いので、きっとコレクターの所に収まっているのでしょうね。

 時計の歴史と姿を網羅した図鑑を作れないものかと思っておりました。確かな文献をここで作成
することは大変意義のあることです、時間はかかるかもしれませんがやる価値はありますよね!

RE>亞陀
コレクターなら誰しも疑問を持っています、同機種でも生産年代に因って異なるヴァージョン。
微妙に異なるケースの意匠、意匠登録番号にも金属プレートと焼き印、機械の刻印の有無
流行の機種を堂々と模造するメーカーのモラルの低下。まさに時計の群雄割拠戦国時代だったようです。

メーカーの威信を掛けたデザインで他メーカーを寄せ付けない独自の戦略を展開、売れている
デザインを模倣は当たり前の世を生き抜くには大変だったと想像しています。

精工舎だってドイツ物からいいとこパクリは日常茶飯事、人の事避難する事出来ないと解っていた筈です。

メジャーなメーカーを目指して世界中の大都市名を商品名にしたようにも勘ぐりますが。結局は
マーケットは中国が良い所で需要が無かったかもしれません。

日本の住宅事情と価格的に合致した小型で比較的安価しかも当時はどこにでも合った8角時計と
の差別化もあり座敷時計シリーズが蔓延したのでしょうか?

RE> 白雲木さん

なるほど、やはりマーケットの問題でしょうかね?
Jの機械の入ったパリ、ベルリンは見たことがあります。箱はまったく同じで違いはありませんが、
唯一焼印がありませんでした、プレートを取りはずしたねじ穴もありません。もしかしたら、当時
箱を作っていた職人はいろんなメーカーに納品していたのかもしれません。当時の生産体系がわか
る文献を探すしかありませんね。

実は先日古本の検索で、「精工舎史話」なる文献を見つけたのですが、値段が2万八千円もしたの
で手が出ませんでした、内容的に充実した本なら入手すべきかと思うのですが、、、
なにせ当時(昭和40年ごろの本)非売品の本でして、図書館にもないそうなんです。
この本の著者 平野 光男という人はこのほかにも精工舎の本を幾つか書いています。
『吉川鶴彦 傳』 『時計の亦楽』という本です、吉川鶴彦という人は服部金太郎の右腕といわれた
技術者だったそうです。

ここ最近、私は例のスリゲル○号シリーズに熱を上げていました、欅の木目が美しい上に、デザイ
ンも変わったものが多く値段も手ごろ。コレクション性も高いので私にはぴったりです、なんとか
10個ぐらいはそろいましたよ。4号と18号は高くて手が出ないのがくやしいところです。

RE>寅さん
精工舎史話の本は持ち合わせていませんが、今調度
ヤフーのオークションにコピーされたものが出てますね。

RE>おしどりIさん
精工舎ですが、我家の筋ガラスでも二種類あり、文字盤にSマークなしと、あり
頭のギボシのさしこみかたが違う、箱の所々に違いがある等年代の違いなのか
製作所の違いなのか???(カタログが今のところ少ないので)解らず。

巴里についても同じことがあります、今のところまだ解りません。

精工舎については興味がありますね、精工舎館が近ければ全てコピー出来るのですが?
 
『 真打ち登場の寅さんからの持論が展開されます。 』

 精工舎のセーロンの件ですが、カタログの記載を調べますと
大正2年〜10年・時鐘要覧第十版(正しい年代不明)のカタログ
で確認する事が出来ました。大正2年7月のカタログでは、金干支
の掛時計はパナマとセーロンの2台のみでその他の座敷時計は全て
が琺瑯干支の記載です。
 大正11年〜昭和4年の期間のカタログの持ち合わせが有りません
ので、はっきりとした製作期間は解りませんが、明治42年度のカタ
ログにはセーロン(他の金干支)の記載が有りませんでしたので、お
そらく大正時代に製造され昭和に入ってからは製造中止された機種だ
と思います。
 セーロン・パナマ・ゼノア・ベニス・北京etcと大正時代製造の金干
支&琺瑯に中央金属プレスタイプのロングケースどれもが、文字盤にS
のマークと機械に刻印・意匠登録焼印が有りません。私の所有するゼノ
ア・ベニス等もSマークの表示・焼印は全く有りません。
おそらくこの時期の上記タイプは輸出(中国・アジア向け)を考えて製造
されていたからでは無いかと考えています。精工舎最初期の琺瑯文字盤
(機械等)を独逸から輸入していた頃のタイプもノーマークだったらしく
大正時代頃には総じて自社製作したいたものだと思われますので輸出を主
にしていたタイプの機種にはあえてS表示をしなかったのでは無いかと考
えています。

 昭和初期に入ってからの金干支ロングケース・トリノ・ナポリ・スエズ
等の文字盤には12時下にSマークと機械にも刻印が入ってきています。

(焼印無し)ゼノアとベニスの画像です。
琺瑯のセンターはプレスの金物ですので中央にマークは入れる事は出来ない
にしても機械やケース(背板)にもメーカー表示が全く有りません。









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